カテゴリーアーカイブ: 福島のこと

春のはじまり

今日で3月も終わりですね。震災から4年が経ち、色々なことが落ち着いたように見えるけれど、現実は難しい問題が山積みです。その事実を忘れないように日々を大切に過ごしていきたいと思います。私の小さいながらもできることは、福島の両親や親戚、友人たちを笑わせることだと思っています。そして、いつかものづくりを通して故郷の力になることが私の夢です。

福島県民、日本国民、世界中の人たちを笑わせるってことか!!

あっ、なんか卒業文集っぽくなってしまった!

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娘が描いた絵「やま」2015.3.11

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私が描いた絵「明るい方へ」2015.3.11

明日から4月。娘も待ちに待った幼稚園の年少!やっと自分の時間がー!預かり保育利用して仕事じゃー!制作じゃー!…のはずでしたが、諸事情により入園を見送ることになりました。しょーがないけれどトホホ。

 まあ、4歳も間近になって、だいぶ手もかからなくなってきたし、いいんだけれども。願わくば年度途中でどこか入園できるとこあるといいな。

4月始まりの手帳を初EDITにしてみました。明日から使うの楽しみけ〜♪

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福島で過ごす夏

早いもので9月も半ば。朝晩はだいぶ涼しくなってきましたね。

8月は祖母の新盆と一回忌の法要のため二度、実家へ帰省しました。2014年8月12日〜8月16日、8月28日〜9月1日、合わせて10日間の滞在でした。今年新築した友人宅にも遊びに行きましたが、ご近所も建て替えた家が多く、昨年訪れた時より震災の爪痕は薄れて来たように感じました。とは言え、友人から公園の敷地内にできた仮設住宅が大雨で大変だった話などを聞いたり、まだまだ大変な思いをされている方も多くいるのだなと感じました。

 

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駅前広場にウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」と姉妹都市を結んだ証にウルトラマンの像が立っていました。地元、須賀川は円谷プロダクション創設者円谷英二の故郷なのです。気に入ってポーズをまねっこする娘。近所の公園は帰りの時間になると「帰ってきたウルトラマン」の歌が流れていました。

 

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8/15 11:00頃 駅前広場リアルタイム線量測定システム付近/0.148μSv。
前回帰省した昨年10月が0.183μSvだったので、少し下がっていました。近所の公園もギリギリ0.23μSv以下に下がったので、短時間だけ娘を遊ばせました。事前に苔や落ち葉や砂はなるべく触らないよう話して、帰ったら手洗いうがいをしっかりさせました。気にはするけれど、あまり神経質にならないよう対策をして過ごさせようと心がけました。

 

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祖母の新盆だったので、畑で採れた野菜で精霊馬を作って飾りました。台風の影響で小さなキュウリと加茂ナスになっちゃったけれど、ばあちゃん喜んで乗ってくれたかな。「こだウマやらベゴだの乗れねぇ」 って笑ってくれたかな。

 

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折り込みの求人広告を眺めていたら、この日は3件の除染作業員募集広告が掲載されていました。以前観た原発作業員に関するドキュメント番組で、除染作業員のほうが給料がいいからそっちへ流れる人が多く原発作業員の数が足りなくなるのではというような内容がやっていました。すでに熟練の作業員の中には被爆線量の上限に達している方もいるらしく、除染作業員より原発作業員の給料や待遇をもっと改善していかないと、廃炉に向けて将来的に人員確保が厳しくなるのではないかと現時点で危惧されているようです。除染は国の直轄だから高い給料が保証されているけれど、原発はあくまで民間会社である東電の管轄なので、元請→子請→孫請とどんどん給料が引かれて安くなってしまうらしいです。

除染も全てが無駄とは思わないけれど、森林の除染が不可能な以上、家屋周辺などを限定的に除染して高線量の地域に住むのを奨励することと除染をせずに移住支援をすること、どちらがいいのでしょうか。難しい問題だし、個々人の事情もあるのでどちらがいいとは一概に言えませんが、知ることと考えることは止めずに関心を持ち続けたいと思いました。

 

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そうそう、けん玉を始めました。納涼祭で上手な小学生を見て憧れて。児童館、学童時代はいっしょに練習する暇なかったけれど、もしかめを一曲全部できていたあの子たちすごいなーと改めて尊敬。まだまだへたっぴだけれど、カチッカチッと皿に乗った時の気持ち良さったら!日々の息抜きにコツコツ練習して楽しみたいです。

3.11に描いた大きな絵

あれから3年。数日前からなんだか落ち着かない気持ちでした。 そして今日。娘と黙祷をし、東日本大震災追悼式のラジオを流しながらいっしょに大きな絵を描きました。壁に模造紙を貼って少しクレヨンで描いた後、絵の具で描きました。

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「えのぐたのしいね!」と言いながら筆や手を使ってどんどん描く娘。私もいっしょにどんどん描いていきました。
「あのね、あなたがお母ちゃんのお腹の中にいた時、大きな地震があったんだよ。すごく揺れてとっても怖かった。たくさんの人が亡くなってしまったの。」
「本当は福島のじいじばあばの所で産まれるはずだったんだけど、原発事故が起きて帰れなくなっちゃったの。東京で産まれたのよ。」
「今日で3年になるけど、こんなに元気で素敵な子に育ってくれてありがとう。大好きだよ。」
震災の時のことを娘に語り、「なんで?どうして?」に答えながらいっしょに描きました。

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完成!あの日お腹の中にいた娘は、2歳9ヶ月を過ぎ、一時間も飽きずに絵を描くほど成長しました。「いっしょに絵を描いてどうだった?」と娘に聞くと「うれしかった!」と答えてくれました。お母ちゃんも嬉しかったよ。ありがとう。

ばあちゃんと夏の終わり

2013年8月28日〜9月7日。
ガンで入院していた祖母の危篤の知らせを受け、娘を連れて急きょ福島へ帰省しました。もう会話することはできなかったけれど、娘が「おっきいばあば、だいじょぶ?」と話しかけると、一瞬ニコッと笑ってくれました。最期を病室で娘といっしょに看取ることができました。
お通夜の夜、お別れの手紙を夜中に書き終えなかなか寝つけずにいると「パタパタパタ」と足音が聴こえました。きっと祖母が忘れ物を取りに来たのでしょう。お葬式も無事終わり、少しずつもう祖母がこの世にいないことを実感しました。

そして10月17~21日に再び帰省。四十九日の法要と納骨を終えました。

地元の友人たちとも久しぶりに会うことができました。最後にあったのが震災前だから3年ぶりくらい。震災時もメールでやり取りしていたけど、やっと直接会って話すことができました。

飼っている牛の乳を捨てなければならなかったという友人。子どもがいるから仕方ないけれど職場のベテランの人が避難して仕事を回すのが大変だという友人。人口や観光客が減って売り上げが震災前まで戻らないという友人。甲状腺の検査で子どもにのう胞が見つかって心配だという友人。

郡山、須賀川、会津と住んでいる地域によって線量は違うけれど、同じ市内であっても線量にばらつきがあり「えっそんな高いの!?」「あの辺は低いよね」などしばし放射線量トークに。それぞれ事情を抱えながらも元気そうに笑う友人たちの顔が見られて安心しました。

*10/21 12:00 駅前広場リアルタイム線量測定システム付近/0.183μSv。今年の5月より下がってたので嬉しいです。セシウム137Csの半減期が 30 年、セシウム134の半減期が 2 年だから、しばらくはこのぐらいの数値のままかな…。

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*求人広告に除染作業員募集の広告が載っていました。除染ぜんぜん進んでいないし、移染だものね…。それでも通学路や公園など子どもの環境はできるだけ低線量にして欲しいです。

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*滋賀県内避難者の会の会報編集のお仕事をすることになりました。避難している方たちに必要な情報をわかりやすく伝えるとともに、空きスペースに手描きのイラストを入れて、少しでも楽しい気持ちが届けられたら幸いです。

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ただいま ふくしま その3

今回、帰省して感じたことは、放射性物質が目に見えないって本当に厄介だなということでした。線量計で測らないとそこにどのくらいあるのかわかりません。そしてどのくらいあるかわかっても目に見えるわけではないので、この辺にあるんだなと想像するしかありません。

故郷は震災前と変わらないのどかな風景でした。そんな風景の中にリアルタイム線量測定システムが設置されていたり、放射線量測定データが掲示されていました。スーパーの食料品売り場では福島県産のものには検査済みの貼紙がしてあったり、「○○市」と細かく表示されてありました。日常の中でそんな光景を見つける度に、ああ、やっぱりここは汚染されてしまったのだなと実感させられました。測定データが蓄積され、汚染度合いが大体わかってきたこともあるのでしょうが、そんな放射性物質に囲まれた暮らしをみな受け入れているように見えました。

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地元、須賀川市は汚染状況重点調査地域ですが、同じ市内と言えども低い場所もあれば高い場所もあります。流通はしていませんが、今も市内から基準値(100Bq/kg)以上の農産物(主にきのこ、山菜)などが出ています。それでも父は山でワラビを採ってきてご近所に配っています。私が言っても「いちいち測りに行かねぇからわかんねぇ。どうせ、おれらは影響出る前に死ぬから大丈夫だ。」と言い、母は「2年経ってるから大丈夫だばい。みんな喜んでるし、美味しいんだ。」とあまり気にしていないようです。汚染される前は当たり前に旬を楽しんでいたわけだし、その当たり前が心の拠り所なのかもしれないなと思うと、食べないでとは強く言えませんでした。私も娘も地元産の野菜や米は食べましたが、ワラビは食べませんでした。

母も叔母も私の娘を公園に連れて行きたがりました。公園に孫を連れて行くのがステータスなのだそうです。気にする人もいれば気にしない人もいて、目に見えないからだんだん気にしなくなっていく人が多いのでしょう。ここはたいしたことない、避難するほどではない、他の地域はもっと高いからうちは大丈夫といったかんじで、ものすごく汚染度合いが高いわけじゃないというのも判断が難しいものだなと思いました。残って暮らし続ける方、自主避難された方、本当は避難したいけれどやむを得ない事情があって避難できない方、避難したけれど戻ってきた方…様々な方がいらっしゃると思いますが、子育て世代で気にされている方にとっては住み辛い環境だなと思いました。

私はこれからも何かと実家へ帰省することになるでしょう。食品の産地や農産品の測定結果を気にして、調理方法も工夫し、数値の高いものは娘には食べさせません。掃除も念入りにし、空間線量を調べて数値の高い場所にはなるべく連れて行かないし、土や落ち葉などもできるだけ触らせないようにします。我が子の健康を守るために影響がわからない以上、避けられるものはできるだけ避けていこうと考えているからです。もちろんすべての子どもたちに深刻な健康被害が出ないことを願っています。

友だちと秘密基地を作って遊んだあの空き地も、子どもの時に家族で海水浴に行ったあの海も、お弁当を持って遊びに行ったあの森も、男の子と初めてデートしたあの駅前も…そういう思い出の場所もすべて、多少なりとも汚染されてしまいました。あの頃は良かったなぁ、放射性物質が漏れてなくて(もしかしてちょっと漏れていたのかもしれないけれど…)、ここの放射線量はいくつなんだろう?なんて、実家に置いてあったアルバムをめくりながら、思い出も汚されてしまったような気がして哀しかったです。18歳で自ら福島を離れた私でもこうだから、ずっと福島で暮らし続けている方々の悲しみ、苦しみ、憤りはどれだけのものでしょうか…。

福島で暮らし続けるということは、これから先も放射性物質と共存していかなければならないということです。当初から言われていたことですが、山林の除染ができないため効果もあまり上がらず、画期的な方法が見つからない限り半減期を待たなければ空間線量は下がらない状況です。高濃度に汚染されている地域は福島だけではなく東日本に点在しています。帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域、計画的避難区域、汚染状況重点調査地域、指定されてはいないけれど原発事故前より線量が高い地域…かなり広範囲です。どこまでが危険でどこからが安全なのでしょうか?

震災から2年3ヶ月経った今でも原発事故は収束の目処が立っていません。毎日体を張って作業して下さっている方々のおかげで崩壊を免れていますが、大きめの地震がある度に何かしら故障が見つかったり、特に4号機崩壊の危険性は世界中から指摘されています。汚染水は漏れ続け、空気中には数多くの核種が飛散しています。政府や東京電力、原子力安全・保安院(後の原子力規制委員会)が情報を隠したり、人命より経済優先だということは事故当初から今に至るまでの対応でイヤというほどわかりました。新聞やTVのマスコミの情報も偏っていることが多いということも学びました。各自が知識を持ち、情報を鵜呑みにせず、自分で判断しなければならないようです。

子どもたちが安全に健やかに暮らせる社会にしていくためには、原発の再稼働や他国への輸出をせずに、何よりもまず事故の収束を優先して欲しいです。放射性物質を可視化する技術が向上すれば、汚染場所の特定ができて廃炉作業の効率がアップし、放射性物質を見て見ぬふりできなくなり、今より状況は良くなるのかもしれません。これから自分が福島のためにできること、原発依存から脱却し持続可能な社会へシフトするために暮らしの中でできることを考え、実践して行こうと思います。

長くなりましたが、終わります。読んでくださった方々、お付き合いありがとうございました。

ただいま ふくしま その2

今回、須賀川市内でいろいろな方からお話を伺う機会がありました。
メモを元になるべくお聞きした通りに書いてみます。

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【市内の簡易測定所の方(60代男性)】
「ここで作って採れたものはちゃんと測ってあるから大丈夫。むしろ他県のものはちゃんと測っていないから心配。100以下だから…(娘を見て)でも小さい子いだら心配でしょう。20でも30でも出だら食わせたくねぇよね。」

【駅前のタクシー運転手の方(60代男性)】
※駅前広場リアルタイム線量測定システム付近で測定中に話しかけられました。
「数値合ってっかい?ここは高いばい?(リアルタイム線量測定システム付近の数値は0.188~0.207 μSv)おれの住んでるところは0.09 μSvだ。震災前までは夜も仕事やってたけど、今は昼だけ!短くしたんだ。地形があんのか、山と山との間隔が狭いからうちのほうは大丈夫だったみたいだ。おれらの世代は気にしねぇやつら多いけど、おれは気にしてんだ。小さい子連れて来た?連れてこねぇほうがいい。外遊びさせねぇのもストレスになるしよ。年寄連中気にしないでいたら歩く放射能になって孫とか周りに迷惑かけっぺっておれは言いたい!孫に遊び来いって言えねぇのがよぉ…。」

【親族(30代独身女性)】
「爆発の時だって食料買い出しで何も知らねぇで外いたし、逃げるっつってもガソリンなかったし…。あんときにけっこうやられてるからさ…。今は3日分の荷物をスーツケースにまとめてある。次に爆発とかあったらすぐ逃げられるように。ネズミにかじられたとか4号機とかあるし。福島出ようか迷っている。食べ物は山菜とか数値高いものは食べていないけど、あとはモリモリ普通に食べている。」

【友人(30代既婚女性、小2と3歳の子持ち)】
「やっぱり爆発の時、外にいたから…ガソリンなかったし。自衛隊からの情報が噂で流れて室内に居るようにしたら、外でサイレン鳴り出してとにかく怖かった。甲状腺の検査、上の子は大丈夫だった。下の子はこれから。検査はずっとやってもらいたい。やっぱり廃炉作業もうまくいかないし、4号機もやばいし、怖い。食べ物は山菜とかきのことか気をつけている。避難した人も少しはいるけど、須賀川は地元の人が多いからあまりいないのかも。郡山はここより線量高いのもあるけど、転勤族が多いから避難した人も多いみたい。じいちゃんばあちゃん置いて避難は難しい。避難して仕事見つかるか、避難先の生活に馴染めるのか不安がある。子どもの外遊びは学校でもやってるから、もう自由にさせてる。プールも同意書付きで入れている。みんな入っている。運動会も半日でやるようになった。洗濯物も最初何ヶ月かは室内干ししていたけど、ストレスになって夏頃からもう出していた。健康調査はみんな出してないって言ってる。何時に何して何食べてたかなんか覚えてないもん。必死だったから。」

続きます。

ただいま ふくしま その1

2013年5月25日~29日。震災後、初めて実家(福島県須賀川市)へ帰省しました。 東京電力福島第一原子力発電所から60kmの距離ですが、現在も汚染状況重点調査地域(放射線量が1時間当たり0.23マイクロシーベルト以上の地域)に指定されています。

低年齢であればあるほど被曝の影響が大きいという話もあり、心苦しくもずっと娘を連れての帰省を伸ばし伸ばしにしていました。そんな娘も2歳になり、祖母の具合いが悪いということで帰ることに決めました。除染はまだですが、半減期を迎えて線量も少し下がってきたようです。

どうせならとことん放射線量を測定しようと思い、エアカウンターS持参で行き、父に町内会の線量計HORIBA Radi-PA1000を借りてもらいました。測り比べた結果、誤差が0.01μSvほどだったので、測定時間の短いRadi-PA1000を使って実家や実家周辺、駅などを測って来ました。

以下、主なデータです。
※ 流し測定以外は表面1m上を5回測定した平均値

[福島県須賀川市/自宅(木造二階建て)]
※震災後、床面や表土等入れ替えなし。除染も実施されていない。

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5/26 8:35 一階ウッドデッキ(板)/0.131μSv
※隣接する盆栽に近づけると0.28μSvまで上昇(流し測定)

5/26 10:10 一階居間(畳)/0.078μSv
5/27 13:15 庭(砂利)/0.218μSv
5/27 13:32 庭(コンクリート)/0.132μSv
5/27 13:47 庭(土)/0.243μSv
5/27 13:56 庭(土)/0.322μSv ※同じ場所で1cm上測定

5/27 14:25 二階寝室(フローリング)/0.089μSv
5/27 14:33 二階寝室(フローリング)/0.074μSv ※同じ場所で1cm上測定

[福島県須賀川市内]

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5/28 14:40 駅前広場リアルタイム線量測定システム付近/0.234μSv
※リアルタイム線量測定システムの数値…0.188~0.207μSv。
※10mほど離れた場所も流し測定したが、同じくらいの線量。

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5/28 15:12 近所の森/0.249μSv
※枯れ葉に近づけると0.489μSvまで上昇(流し測定)
5/28 15:46 近所の公園/0.22μSv~0.307μSv(流し測定)
※市の発表…0.28μSv

[福島県白河市内]
5/29 11:00 新白河駅新幹線ホーム/0.207μSv

本当はもっと測りたかったけれど、娘が寝ている間じゃないと測りに行けなかったのでこのくらいです。実際に測ってみて、実家の室内線量が思ったより低くて安心しました。屋外に関してはよく言われている通り、コンクリートより土や植物の近くは線量が高かったです。切ない気持ちで娘になるべく触らないよう言って聞かせていました。

ずっと絵のモデルにしていた近所の森も空間線量自体はそれほど他と変わりませんでしたが、やはり落ち葉が高かったです。どんどん上昇するので退散しましたが、実際はもっと高いかもしれません。

なるべく娘を屋外では遊ばせず、屋内やウッドデッキで遊ばせました。線量の低い牡丹園(0.09〜0.12μSv)やスーパーなどへは連れて行きましたが、公園では遊ばせませんでした。姪っ子のお下がりの室内用アンパンマンブランコにだいぶ助けられました。公園で測定している間も小学生や、おばあちゃんに連れられた娘より小さい子が遊びに来ていました。

外遊びできないストレスと被曝のリスクをどう考えるか。
目の当たりにして、その難しさを考えさせられました。

続きます。

3.11の花

あの日から2年が経ちました。

14:46に黙祷をした後、あの日まだお腹の中にいた娘といっしょに絵を描きました。

娘に好きな色を選んでもらい、水彩絵の具と綿棒で描きました。

右が1歳9ヶ月になる娘、左が私の絵です。

夜、福島の両親とskypeをしました。

実家の除染はまだ先だそうです。

私は原発のない未来を子どもたちに渡したいです。

自分にできることは何かを考え続け、行動し続けていきたいです。

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